富田メモ、その後…〜サークル報告も兼ねて〜
今日は週に一度の「政策討論会」。先週は私、会長代理・鈴本勝が「日本の国家安全保障政策」について発表したが、今週は会長・岸本の「参院選と政界再編」であった。
序盤は「なぜ安倍自民党は参院選に敗北したのか」について議論していたが、思わぬところから民主党・石井一議員の「公明党・創価学会献金(いわゆるP献金)」追求に話が及び、公明党批判が繰り広げられることになった(笑)ちなみに、先週の私の発表は「学生テレビ局」の取材も兼ねており、予定では明日から同志社大学の京田辺校地と新町学生会館で放映されるという。発表の内容ゆえ、某「チャンネル桜」のような仕上がりが予想されるが、逆に大部分がカットされている可能性も否めない…(苦笑)とりあえず、先週の発表内容についてはサークルHPからダウンロードできるので、興味がある方は気軽にダウンロードしてもらいたい。
ところで、今日は「政策討論会」の後、法学部の講演会に参加してきた。演題は「昭和天皇・宮中をめぐる政治〜富田メモ・卜部日記をめぐって〜」、講師はあの御厨貴東大教授である。御厨氏と言えば昨年7月、「富田メモ」が日経新聞によりスクープされた直後、「私は、公開されたあの部分のメモしか見ていません」と前置きした上で、「少なくとも私はこの(天皇のものという)メモを本物だと思っています」と語ったことが「週刊新潮」で取り上げられるや否や、保守系ブログを中心に総スカンを食らった人物である。
私が講演会場の神学部礼拝堂に着いたときには20名ほどの人が入っていた。講演時間は90分と少々長めであったが、御厨氏の軽快な口調と興味深い内容で時間はあっと言う間に過ぎた。内容は以下の通りである。
<富田メモについて>
1.富田メモについては「メモ(キーワードのみ)」「手帳」「日記(主として昭和天皇との関係)」の3部構成になっており、情報量の多さゆえ、日経新聞の検証委員会においても全容がつかめなかった。
2.しかし検証を進めていく上で、富田朝彦宮内庁長官(当時)は在任中、後藤田正晴を多分に頼っていることが分かった。かつて仕事で後藤田にインタビューした時、「富田は警察官僚としては二流だ。しかし勝手なことはやらない。だから宮内庁長官に推薦した」と語ったことがあり、ここから何か問題が起こるたびに、富田が後藤田を頼っていたことが伺える。また、富田夫人は後藤田夫人、矢口夫人(矢口洪一最高裁長官・当時)とよく買い物に出かけていたこともこのメモから明らかになっており、これは裏を返せば、後藤田が最高裁長官(当時)の矢口とも親しかったことを表しいる。この事からも後藤田の治安部門への影響力の強さが分かる。
3.後藤田の頭の中で富田は昭和天皇崩御までのつなぎでしかなかった。後藤田は後の宮内庁長官には、一時は次代の総理候補にも挙げられていた現役の某大物政治家(講演ではミスターXと呼んでいた)を推すことを画策していた。
<卜部日記について>
日記全体を通して、昭和天皇は常に戦争責任との関係を意識していたことが分かる。それゆえ、A級戦犯の靖国神社合祀は東京裁判で決着をつけたはずの日本の戦争責任を蒸し返すことになり、合祀に反対されたのではないか。また、戦争責任という観点から言えば、特に沖縄に格別の贖罪意識を抱いていたようである。それゆえ、最後まで沖縄にこだわり続け、病状が悪化しても職務軽減に応じることなく、天皇として職を全うされたことが分かった。
<今後の課題>
昭和20年代から昭和40年代後半の宇佐美毅宮内庁長官時代の資料がない。これをどうにか見つけ、昭和天皇の実像に迫りたい。
以上が、講演の主な内容である。以下は私の完全な憶測に過ぎないが、富田宮内庁長官(当時)の後任として推されていた大物政治家とは「加藤紘一」のような気がしてならない。実際、加藤は後藤田が官房長官を務めていた中曽根政権下で防衛庁長官を務めているし、富田の後任人事の話が持ち上がったのが中曽根政権時代であったことを考えると、後藤田と思想的にスタンスが近く、また後藤田からして使い易かったであろう加藤の名が真っ先に挙がってもおかしくはない。さらに、加藤は「加藤の乱」で失脚するまで次代を担う総理候補であった。これに関しては、いずれ事実が明らかになるだろうから楽しみである。
また、東京裁判において昭和天皇はA級戦犯が処刑されることにより自らの「戦争責任」(私はこの言葉の意味自体、問い詰める必要があると思うが)が回避されたわけだが、それゆえ、A級戦犯合祀に不快感を示し、それを理由に靖国参拝を取りやめたという御厨氏の話はどうも釈然としない。さらに言えば、なぜ小泉首相(当時)の終戦記念日靖国参拝を前に、「富田メモ」がスクープされたのかも今一つよく分からない。この「時間的な一致」は単なる偶然なのであろうか??
最後に御厨氏は何年先になるかは分からないが、いずれ昭和天皇の人物伝を出したいと言っていた。今後、いかなる新資料が出てくるかは分からないが、氏には是非、全ての真実が明らかになるまで昭和天皇の実像に迫ってもらいたい。
序盤は「なぜ安倍自民党は参院選に敗北したのか」について議論していたが、思わぬところから民主党・石井一議員の「公明党・創価学会献金(いわゆるP献金)」追求に話が及び、公明党批判が繰り広げられることになった(笑)ちなみに、先週の私の発表は「学生テレビ局」の取材も兼ねており、予定では明日から同志社大学の京田辺校地と新町学生会館で放映されるという。発表の内容ゆえ、某「チャンネル桜」のような仕上がりが予想されるが、逆に大部分がカットされている可能性も否めない…(苦笑)とりあえず、先週の発表内容についてはサークルHPからダウンロードできるので、興味がある方は気軽にダウンロードしてもらいたい。
ところで、今日は「政策討論会」の後、法学部の講演会に参加してきた。演題は「昭和天皇・宮中をめぐる政治〜富田メモ・卜部日記をめぐって〜」、講師はあの御厨貴東大教授である。御厨氏と言えば昨年7月、「富田メモ」が日経新聞によりスクープされた直後、「私は、公開されたあの部分のメモしか見ていません」と前置きした上で、「少なくとも私はこの(天皇のものという)メモを本物だと思っています」と語ったことが「週刊新潮」で取り上げられるや否や、保守系ブログを中心に総スカンを食らった人物である。
私が講演会場の神学部礼拝堂に着いたときには20名ほどの人が入っていた。講演時間は90分と少々長めであったが、御厨氏の軽快な口調と興味深い内容で時間はあっと言う間に過ぎた。内容は以下の通りである。
<富田メモについて>
1.富田メモについては「メモ(キーワードのみ)」「手帳」「日記(主として昭和天皇との関係)」の3部構成になっており、情報量の多さゆえ、日経新聞の検証委員会においても全容がつかめなかった。
2.しかし検証を進めていく上で、富田朝彦宮内庁長官(当時)は在任中、後藤田正晴を多分に頼っていることが分かった。かつて仕事で後藤田にインタビューした時、「富田は警察官僚としては二流だ。しかし勝手なことはやらない。だから宮内庁長官に推薦した」と語ったことがあり、ここから何か問題が起こるたびに、富田が後藤田を頼っていたことが伺える。また、富田夫人は後藤田夫人、矢口夫人(矢口洪一最高裁長官・当時)とよく買い物に出かけていたこともこのメモから明らかになっており、これは裏を返せば、後藤田が最高裁長官(当時)の矢口とも親しかったことを表しいる。この事からも後藤田の治安部門への影響力の強さが分かる。
3.後藤田の頭の中で富田は昭和天皇崩御までのつなぎでしかなかった。後藤田は後の宮内庁長官には、一時は次代の総理候補にも挙げられていた現役の某大物政治家(講演ではミスターXと呼んでいた)を推すことを画策していた。
<卜部日記について>
日記全体を通して、昭和天皇は常に戦争責任との関係を意識していたことが分かる。それゆえ、A級戦犯の靖国神社合祀は東京裁判で決着をつけたはずの日本の戦争責任を蒸し返すことになり、合祀に反対されたのではないか。また、戦争責任という観点から言えば、特に沖縄に格別の贖罪意識を抱いていたようである。それゆえ、最後まで沖縄にこだわり続け、病状が悪化しても職務軽減に応じることなく、天皇として職を全うされたことが分かった。
<今後の課題>
昭和20年代から昭和40年代後半の宇佐美毅宮内庁長官時代の資料がない。これをどうにか見つけ、昭和天皇の実像に迫りたい。
以上が、講演の主な内容である。以下は私の完全な憶測に過ぎないが、富田宮内庁長官(当時)の後任として推されていた大物政治家とは「加藤紘一」のような気がしてならない。実際、加藤は後藤田が官房長官を務めていた中曽根政権下で防衛庁長官を務めているし、富田の後任人事の話が持ち上がったのが中曽根政権時代であったことを考えると、後藤田と思想的にスタンスが近く、また後藤田からして使い易かったであろう加藤の名が真っ先に挙がってもおかしくはない。さらに、加藤は「加藤の乱」で失脚するまで次代を担う総理候補であった。これに関しては、いずれ事実が明らかになるだろうから楽しみである。
また、東京裁判において昭和天皇はA級戦犯が処刑されることにより自らの「戦争責任」(私はこの言葉の意味自体、問い詰める必要があると思うが)が回避されたわけだが、それゆえ、A級戦犯合祀に不快感を示し、それを理由に靖国参拝を取りやめたという御厨氏の話はどうも釈然としない。さらに言えば、なぜ小泉首相(当時)の終戦記念日靖国参拝を前に、「富田メモ」がスクープされたのかも今一つよく分からない。この「時間的な一致」は単なる偶然なのであろうか??
最後に御厨氏は何年先になるかは分からないが、いずれ昭和天皇の人物伝を出したいと言っていた。今後、いかなる新資料が出てくるかは分からないが、氏には是非、全ての真実が明らかになるまで昭和天皇の実像に迫ってもらいたい。

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「感情」が「歴史」を変えるのか!?
先月29日、沖縄県宜野湾市で沖縄戦集団自決を巡る教科書検定意見の撤回を求める沖縄県民大会が開かれ、11万人(主催者発表)を超える人が集まった(実際には3〜4万人しかいなかったという意見もある)。ちなみに、集会には沖縄県知事はじめ沖縄選出の与野党双方の国会議員も参加したという。
事の発端は、「来春から使用される高校日本史の教科書検定で、沖縄戦で起きた集団自決について、従来認めていた日本軍の強制を趣旨とする記述に、沖縄戦の実態について誤解する恐れがある、と検定意見がついた」(毎日新聞)ことにある。この検定結果を受け「教科書会社は強制性に関する記述を削除、修正した」(毎日新聞)とされる。今回の県民集会ではこれを厳しく糾弾するとともに、検定意見の撤回と強制性の記述復活を求める決議が採択された。
これを受け、政府は教科書会社からの修正申請があれば、それを受け入れる姿勢を示した。しかし、こんなことがまかり通って本当に良いのだろうか??
かつて、我が国では「高等学校用の日本史教科書に、中国華北への『侵略』という表記を『進出』という表記に文部省の検定で書き直させられた」という日本テレビの誤報が発端となり、中国・韓国と外交問題化したことがあった。その際、当時の官房長官・宮沢喜一は談話を発表し、「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること」を新たに歴史教科書の検定基準とする旨を発表した。いわゆる「近隣諸国条項」の追加である。
ただ、これらの動きは、歴史という真実に対する冒涜だと個人的には認識している。歴史的事象の取り扱いに「国際理解」が必要なのか?ましては「国際協調」をもって歴史は語られるべきなのか??この場当たり的な政府の対応は、現在に至るまで「教科書問題」という大きな禍根を残している。
ここで話を今回の件に戻すが、沖縄戦集団自決を巡ってはノーベル賞作家の大江健三郎が著書『沖縄ノート』で取り上げ、全国的に有名になったという経緯がある。しかし、その内容を覆す学説が近年有力となっている。詳細については「Web正論」を是非とも御覧になっていただきたいが、要約すると、沖縄の集団自決に軍の強制性があったとしたのは、戦後、遺族に対し年金受給をはかるために琉球政府(当時)が取った「苦渋の決断」だったということになる。この決断に当たっては、大戦末期、軍人として沖縄の渡嘉敷島守備に実際に当たっていた赤松元大尉本人から「集団自決を強制した軍人」とする了解を得ているが、これは、島を、そして島民を守りきれなかったことに対する、赤松元大尉のせめてものお詫びの気持ちだったのかもしれない。しかし、それが真実を語られぬまま、左翼の力を借りながら一人歩きしてしまったのである。
しかも、ここにきて沖縄県知事は前述の「近隣諸国条項」ならぬ「沖縄条項」を新設することを文科省に要望している!歴史は「真実」ではなく「感情」によって簡単に書き換えられて良いのだろうか?このような一連の動きを集団自決で亡くなられた方々は、天国からどう御覧になっているのだろうか??沖縄県の方々よ、「平和への願い」も大事だが、今一度、苦渋の決断をせざるを得なかった当時の方々に対してもその想いを馳せてみてはいただけないだろうか。「歴史」は「感情」ではなく「真実」が物語るものなのだから。
事の発端は、「来春から使用される高校日本史の教科書検定で、沖縄戦で起きた集団自決について、従来認めていた日本軍の強制を趣旨とする記述に、沖縄戦の実態について誤解する恐れがある、と検定意見がついた」(毎日新聞)ことにある。この検定結果を受け「教科書会社は強制性に関する記述を削除、修正した」(毎日新聞)とされる。今回の県民集会ではこれを厳しく糾弾するとともに、検定意見の撤回と強制性の記述復活を求める決議が採択された。
これを受け、政府は教科書会社からの修正申請があれば、それを受け入れる姿勢を示した。しかし、こんなことがまかり通って本当に良いのだろうか??
かつて、我が国では「高等学校用の日本史教科書に、中国華北への『侵略』という表記を『進出』という表記に文部省の検定で書き直させられた」という日本テレビの誤報が発端となり、中国・韓国と外交問題化したことがあった。その際、当時の官房長官・宮沢喜一は談話を発表し、「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること」を新たに歴史教科書の検定基準とする旨を発表した。いわゆる「近隣諸国条項」の追加である。
ただ、これらの動きは、歴史という真実に対する冒涜だと個人的には認識している。歴史的事象の取り扱いに「国際理解」が必要なのか?ましては「国際協調」をもって歴史は語られるべきなのか??この場当たり的な政府の対応は、現在に至るまで「教科書問題」という大きな禍根を残している。
ここで話を今回の件に戻すが、沖縄戦集団自決を巡ってはノーベル賞作家の大江健三郎が著書『沖縄ノート』で取り上げ、全国的に有名になったという経緯がある。しかし、その内容を覆す学説が近年有力となっている。詳細については「Web正論」を是非とも御覧になっていただきたいが、要約すると、沖縄の集団自決に軍の強制性があったとしたのは、戦後、遺族に対し年金受給をはかるために琉球政府(当時)が取った「苦渋の決断」だったということになる。この決断に当たっては、大戦末期、軍人として沖縄の渡嘉敷島守備に実際に当たっていた赤松元大尉本人から「集団自決を強制した軍人」とする了解を得ているが、これは、島を、そして島民を守りきれなかったことに対する、赤松元大尉のせめてものお詫びの気持ちだったのかもしれない。しかし、それが真実を語られぬまま、左翼の力を借りながら一人歩きしてしまったのである。
しかも、ここにきて沖縄県知事は前述の「近隣諸国条項」ならぬ「沖縄条項」を新設することを文科省に要望している!歴史は「真実」ではなく「感情」によって簡単に書き換えられて良いのだろうか?このような一連の動きを集団自決で亡くなられた方々は、天国からどう御覧になっているのだろうか??沖縄県の方々よ、「平和への願い」も大事だが、今一度、苦渋の決断をせざるを得なかった当時の方々に対してもその想いを馳せてみてはいただけないだろうか。「歴史」は「感情」ではなく「真実」が物語るものなのだから。

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