リサーチペーパー「スイスの外交・安全保障政策」前編

今日は後輩達の目の前で、学生生活についてスピーチをしなければならない日である。とりあえず、教授の手前、問題発言にだけは気をつけたい。
これより以下では、3回のゼミでまとめたリサーチペーパーの前半部分を貼り付ける。みなさんに御一読頂ければ幸いである。
1.はじめに
我々は「スイス」という言葉を聞いた時、まず初めに何を思い浮かべるだろうか。アニメ「アルプスの少女ハイジ」に出てくる、あの美しい山々に囲まれた雄大な風景であろうか。はたまた、「永世中立」の言葉からイメージされる平和愛好国家としての姿であろうか。もちろん、この2つのイメージは「スイス」のイメージを捉える上で間違ったものではない。実際、スイスを取り巻く豊かな自然環境は、現在、スイス経済を潤す貴重な観光資源となっているし、「永世中立」の外交方針もスイスにとっては譲ることの出来ない国是である。しかし、このようなイメージだけでスイスの実像を捉えようとするには少々無理がある。
今回のリサーチ・ペーパーでは、そんな「スイス」の実像に迫るべく、主に外交・安全保障の分野からスイスの政策を調査・考察していきたいと思う。尚、調査に当たっては最後に挙げる参考文献の他、主要4紙(産経・読売・毎日・朝日の各新聞)の記事も参考にした。
2.スイスの歴史〜建国からウィーン会議まで〜
ここでは、今回のリサーチ・ペーパーの主題である「スイスの外交・安全保障政策」を考える前に、建国からウィーン会議に至るまでのスイスの歴史について簡単に触れておきたい。
スイス建国は1291年8月1日、スイス中部リュトリの丘にて、ウーリ、シュヴィーツ、ニトヴァルデンの「原初三州」が、この地を支配していたハプスブルグ家の暴政に対抗し、自らの自由と自治を守るため「永久同盟」を結び相互援助を誓い合ったことに始まる。ちなみに、国名の「スイス」は「原初三州」の一つ「シュヴィーツ」の名に由来している。その後、スイスはハプスブルグ家との戦いに連戦連勝し、1415年、ついにハプスブルグ家の本拠地「アールガウ」を占領し、ハプスブルグ家を東方の辺境の地「オーストリア」に追い出すことに成功する。以降、スイスは着々と領土を拡大し、16世紀前半にはウーリ、シュヴィーツ、ニトヴァルデンの「原初三州」から始まった「永久同盟」は13州に膨れ上がっていた。このスイスの同盟締結による領土拡大は、1515年、「マリニァーノの戦い」でフランス軍に敗れるまで続けられた。
「マリニァーノの戦い」で勝利を収めたフランス軍は大敗を喫したスイス同盟軍と講和を結び、戦勝国としては異例とも言える多額の報償金を払った上で、スイス兵を自国の傭兵として優先的に供給させる協定を結んだ。当時のフランス国王・フランソワ一世は陸戦におけるスイス兵の精強さと忠誠心を認識していたのである。これ以後、スイス兵は自国の領土拡大ではなく、他国の傭兵としてヨーロッパ各地の戦場に借り出されることになる。精強で忠誠心のあるスイス兵の噂はヨーロッパ諸国に瞬く間に広がり、もはや戦場には欠くことの出来ない存在となっていた。また、スイスが外交的に「中立」を標榜するようになったのもちょうどこの頃である。スイスが中立を標榜するということは、すなわち、どこの国にでも傭兵を輸出する準備が出来ていることを意味する。当時のスイスは慢性的な人口増加に悩まされており、食えない余剰人口は必然的に外国に職を求めなければならなかった。その際、需要の多い傭兵は最も手っ取り早く、かつ、最も有利な条件で働ける職として認識されていた。このように、初期の中立政策はヨーロッパ諸国とスイスの傭兵供給をめぐる利害の一致から達成されたのであった。
ところで、スイスの長い歴史において、一度だけ他国による支配を受けたことがあった。それは1798年〜1803年の「ヘルヴェティア共和国」の時代である。これは革命後のフランスが反革命の中心勢力であったオーストリアに対抗する為にスイスに樹立した傀儡政権であるが、内部で特権化した旧勢力と形骸化した直接民主制に不満を募らせた住民との間で混乱が生じたのを察知したナポレオンは、すぐさま旧勢力と調停条約を結び政権は5年も経たずに瓦解する。しかし、その後もフランスとは「ライン同盟」における協力関係にあり、有事の際は共同作戦に従事しなければならなかった。この同盟関係は、1815年、ナポレオンがワーテルローの会戦に破れセントヘレナ島に流刑されるまで続くことになる。時を同じくして、1815年、オーストリアの宰相メッテルニヒの主導で開かれた「ウィーン会議」ではスイスに「永世中立国」としての地位が認められた。だが、それはナポレオン再興を恐れた周辺諸国が、スイスに一種の緩衝地帯としての役割を期待しつつ、スイスに「傭兵」供給を停止させ軍事力の固定化をはかるという狙いがあった。このようにスイスが正式に「永世中立国」として認められた背景には、「ナポレオン再興」への危機感から「勢力均衡」をはかろうとする周辺諸国の思惑があったのである。
以上が建国からウィーン会議に至るまでのスイス史の概略である。以下では、これらを踏まえた上でスイスの外交・安全保障政策を考察していきたい。
〜後編に続く〜

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